明けてもおめでたくない正月

こんばんは。


バイトが終わり帰ってきました。当然塾のほうです。


正直個人的には明けても明けなくてもめでたさは変わらず、いつも通りの一日一日を潰していくだけなので、こんなタイトルになってしまいました。


今年を受験生として過ごさなかったことが少し嬉しいですが、せっかくなので1年間を振り返ってみます。 


1月 センター試験。本格的に学校に行かなくなる。確か2日間だけ登校した。センター対策はほとんどせずに突入。このころSKJの合格保証を貰ってしまい、気が緩む。過去問を解きまくる。めちゃくちゃ体調が悪くなり、自習中に「風邪薬買ってきてもいいですか」と、怖めな社員さんに聞いたら、「いや、帰れよ」と怒られた。(結果粘って授業受けた)。何日経っても治らず、フラフラのまま登校する日を繰り替えしたが、家族の誰もインフルの検査は陰だと言っていたため、ただの風邪だろうと思っていた。つい数日前、家族にその話をしたら、実は、母親と姉がインフルになっていたことが判明した。私に言ったらブチギレると考えたらしく、黙っていたそうだ。通りで頭痛も熱もあった訳だ。全てに合点がいったが、そんな中増田塾皆勤賞を記録した自分に大きな拍手を送った。


2月  私大入試突入。最初の入試は成蹊大学(全学部入試)だったが、超ギリギリでの合格だった。余裕で受かると思っていたが、合格者20人のうち18位だったので、「ヒョエ〜!」となってしまった。滑り止めの恐ろしさを知った。次、立教の社会学部。国語も英語も9割は超えた筈だけど、日本史がお粗末だった。多分7割くらいだと思う。普通に受かった。夏までに英語をやりまくった自分を讃えた。ここで若干満足しかけたが、続けざまにほかの学校の入試となった。次、学習院。確か文学部史学科。日本史の論述で毎年やられていたが、偶然にも数日前に資料集を読み込んだ、秀吉の朝鮮出兵ネタだったので割と書けた。ここも普通に受かった。次、というか、ここから落ちまくる。早稲田文構。倍率10何倍にビビるも、謎の余裕で突入。会場では、頭のイカれた隣人に終始振り回されるも、なんとか終了。結果、不合格。実力不足を痛感した。電話音声で言われた時、心の中に重石を置かれたというか、まあそんな感じの気持ちになった。早稲田の中でもまあ高くはない学部だったから、それなりには舐めていた。ヴヴーン。思えば、人生で初めて何かに落ちて、落ち込んだかもしれない。付属小受験で、第五試験のくじ引き(今はないそうです。そりゃそうだ)で、父親が51番(50までが合格)を引いた時は、落ち込むというよりは、人生で初めて父親に憎悪を覚えたので、実質初めて。切り替えて次に臨んだ。次、慶應文学部。武蔵小杉で改札を出てしまい、迷子になる。出た瞬間、左手に何かのゲートを見つけたため、取り敢えずスイカをかざしながら突破しようとしたら明らかな異音が鳴り響き、警備員さんに取り押さえられた。何かと思えば、どこかの会社の社員用ゲートだったそう。社員証ではなくスイカをかざし続けた私、敗北。ここで本格的に涙が出た。人前で泣いたのは数える程しかないけど、それくらい恥ずかしくて怖くなった。親に電話したら、おそらく仕事中だったのか、「知るか!」と言われた。心が死んだ。お金は持っていたので、武蔵小杉からタクシーで日吉まで行こうとしたが、バス停のおばさんに話しかけたところ、優しくも、丁寧に教えてくれたため、無事東急東横線までたどり着いた。感謝感激。試験会場に着き、教室に着いた。英語が最初だった気がするけど、2時間のうち最初の10分は頭がゴリラになったので、アルファベットが分からず辞書を引けなくなった。焦った。人間、極限状態に陥ると本当に「頭が真っ白」になることを学んだ。でも、塾の先生が、「慶應文学部の英語を解く時は、英語と対話して、温かい気持ちを持って返して上げてください」と言っていたことを頭の中で何度も思い出し、平静を取り戻した。文学部の英語の内容は、じっくり読むととても面白かった。大人になることはただ歳をとるだけ、という一節がとても印象に残った。日本史は、今までにないくらい年号の問題を出してきて、問題作成者に怒りがふつふつと湧いたものの、なんとかクリアした。論述は、具体例もネタもすぐ思いついたので、40分ほど残してドヤ顔で頬杖ついてた。この位の余裕でどの試験も臨むべきなのかもしれない。結果は、早稲田社学明けの日に発表だった。つまり、めちゃくちゃ遅かった。文学部は足切りもないし、論述が多いから、時間がかかるのはわかってたけど、まあ落ち確だと思ってたので、特に期待もしなかった。1番配点が高い、と言われる、英語の最後の論述で、塾の友達と回答が合わなかったのもその原因かもしれない。

次、法学部。正直なことを言うと、英語も日本史も論述も上手くいった。でも、落ちた。結果は姉が勝手に見たので、久々にブチ切れた。悲しかったけど、「もう少しやっておけばよかった」とは全く思わなかったので、自分なりにやり切ったんだと思う()

三日目、総合政策学部。小論では確率の計算を間違え、AKBを題材に文字数を埋めまくり、英語では1時間爆睡した。なぜか通ってしまった(補欠だけど)。意味がわからなかった。村井純、ガバガバ。


 暫く空いて早稲田2連続。ここからは再びの補欠祭りなので、省略。というか飽きた。


慶應(本キャン)行きてぇ〜」マンだったので、残る文学部の発表に心がソワソワした。発表の日は、社学の次の日で、ぱんつ1号機と太鼓の達人をしたり、コメダシロノワールを食べたりした。この時点で立教に決まりそうだったので、家は葬式モードだった。家にいたら、親からの「可哀想に・・・」で死にそうだったから、外で遊んでくれるのはとても助かった。発表は9時からだったけど、どうせ落ちてるし、見たらぱんつと楽しめないからと思って見てなかった。コメダで私が延々「受験はクソ」と、の垂れ死んでたら、通信制限のスマホに姉からLINEが来た。画像はその時のLINE。何が「よゆー」だ。でも、とても嬉しくて、コメダの赤いフワフワソファーに倒れ込んだのを思い出した。塾にすぐに連絡したけど、メールだったし、本部に送ったから、本当に感謝してる社員さんにつたわったのはずっと後だったみたいだった。ここで初めて、頑張ってきてよかったと思った。後から、本部のお偉いさんと話した時、「SKJの合格保証もらってたのにこれだけしか受かんなかったの?」と言われた。私大入試恐るべしだった。人生ナメナメナメックだった私が、徹底的に自信を失ったり、打たれ弱くなった1年だった。祝賀会で、特に感謝してた社員さん2人に挨拶出来たことが1番嬉しかった。早慶受かってなかったら行かない予定だったので。まあ、そんなこんなで、学校サボりまくって一日中塾にいたり、塾で出来た友達とご飯買いに行ったり、他愛もない事を話して、心が軽くなったり、そんな日常が今思えばとても充実していたことを知った。1年間やってきたことは、何一つ後悔していないし、自分の成長の糧になったと思う。1年間、何も成長しなかったと思ったけど、案外そうじゃなかった。良かった。


3月  いつのまにJKブランドを失っていた。飲食のバイトを始めた。


4月 入学した。入学式で突然肩を組み始め、校歌を歌う内部生にドン引きした。


5月  塾のバイトを始めた。


6月 特に何も無く過ぎた。


7月 なんかいろいろやったけど覚えてない


8月 またひとつ大人になった。1歳ダンディーババアになった。


9月 非適合者の人々とデズニーに行ったり、無人島に行ったりした。とても楽しかった。


10月 よくわからんハロウィンとかいうイベントにイラついた。


11月  疲れた


12月  なう



徐々に適当になっていきますね。


眠くなってきたのでお風呂に入ります。


それでは、皆さん良い年末をお過ごしください。


おやすみなさい!!!